2016年05月18日
営業活動日記 「歴史を振り返って」

皆様、こんにちは。西村友里です。
先日、お客様をご案内した際に、興味深い看板を見つけました。
添付している写真がそうですが、看板には「根岸飛行場跡」と記載がありました。

◇根岸飛行場跡 昭和15年(1940)この埋立地に大日本航空株式会社により、
 日本初の飛行艇専用民間飛行場がつくられました。
 
 南洋諸島パラオ島への定期航空路が開設されたのです。
 川西航空機製の97式という大型飛行艇が15年3月6日に、
 根岸湾からサイパン経由パラオに向け飛び立ちました。
 発動機4基、翼長40メートル、「綾波」、「磯波」、「黒潮」、「白雲」など
 海や空にちなんだ愛称の優美な巨人機で、サイパンまで10時間
 パラオまではさらに7時間かかりました。
 客席は18あり、運賃はサイパンまで235円で東京・大阪間の7倍でした。
 戦時中は人員と機材すべてが海軍に徴用され、南方の島々との連絡や
 人員・物資の輸送の任務にあたりました。
 
 昭和17年には世界最優秀機の名も高い2式大艇が登場しましたが、
 全備重量24.5トンの日本最大の新鋭機で乗員以外に26~64人も収容でき、
 離着水時には家々の屋根をかすめて轟音を響かせました。
 97式大艇の最終飛行は、終戦直後昭和20年(1945)9月の台湾向け紙幣の輸送で、
 2式大艇は、同じ年11月にアメリカへ試験機として引き渡すため、香川県の詫間基地から
 ここに飛来したのが最後です。
 根岸には飛行艇の乗員や空港関係者が大勢下宿した子供たちに、
 南方の珍しい果物の味を運んでくれました。
 鳳町の名は巨大な翼にちなみ、未来に羽ばたくようにという意味でつけられたそうです。
 『磯子区根岸地区連合町内会、横浜磯子ライオンズクラブ、磯子区郷土研究ネットワーク』

大日本航空株式会社は、1938(昭和13)年12月に官民出資の国策会社として、
日本の航空輸送事業を飛躍的に発展させるために設立されました。
昭和15年の物価は公務員の初任給で75円、はがき1枚2銭、ラーメン1杯16銭、
かけそば1杯15銭、コーヒー1杯15銭、生ビール1杯50銭(ジョッキ)であり、
当時の1円が今の金額に換算すると約2600円前後であったそうなので、
250円で約65~70万円前後、およそ100万円程度の価値がありました。
根岸飛行場があった当時、根岸湾一帯の子どもたちにとって、この飛行艇は憧れと誇りの場所でした。

様々な街を歩いているおかげで、またひとつ歴史を知ることが出来ました。

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