
新年あけましておめでとうございます。西村友里です。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
弊社は、12月27日(水)から1月4日(木)まで年末年始休暇を頂きました。
私は例年通り、地元岡山に帰省して参りました。
家族をはじめ、会いたい人たちに会い、行きたいところに行き、
とても充実した日々を過ごすことが出来ました。
今回、岡山の観光名所に行ったことが無いという友人の為に
「岡山城」と「後楽園」を案内いたしました。
私は子供の学校行事で行ったり、家族と一緒に何度か行った思い出があります。
しかし、この馴染み深い後楽園が「日本三名園」と知ったのは、
社会人になる少し前くらいでした。
関東に住む方が「後楽園」と聞くと、東京ドームシティ アトラクションズ(旧後楽園ゆうえんち)を
連想されると思いますが、こちらと岡山の後楽園は何の関係もないようです。
東京の後楽園は、隣接する「小石川後楽園」の名に因んだもので、
小石川後楽園は、水戸徳川家の初代・頼房が江戸上屋敷に造営した庭園を
水戸黄門こと二代・光圀が改修し1669年頃に完成させたものだそうです。
岡山の後楽園は、岡山藩の二代・池田綱政が1687年に着工、14年の歳月をかけ
1700年に完成させた小堀遠州(江戸前期の茶人・武将。遠州流茶道の祖)の
流れを汲む庭園です。
庭園は岡山城の後ろにあることから「後園」「御後園」等と呼ばれており、
1871年に綱政の精神を汲んで「後楽園」と改められたそうです。
「千代やへん空とぶ鶴のうちむれて庭におりいる宿の行末」(池田綱政)
ある日、延養亭の前庭に降り立ったタンチョウをみて、
藩主綱政が瑞兆(おめでたい出来事の兆し)と喜び詠んだという和歌です。
その他にも、庭に鶴が飛来したときや、園内で飼われていた鶴に卵が生まれたときには、
江戸にいる藩主に知らせていたという記録もあるそうです。
その名残なのか、後楽園にはタンチョウが飼育されており、
毎年1月1日には数羽のタンチョウを庭園に放鳥しております。
私が行ったのは1月3日でしたが、その日も1時間だけ放鳥していたそうで、
2時間早く行けば見ることができたと後で知り、残念な気持ちになりました。
余談ですが、祖父母の初デートの場所は後楽園だったと、
お盆休みに帰省した際に祖母が話してくれました。
岡山城は1597年に豊臣家五大老の一人・宇喜多秀家が築城しました。
三層六階の天守閣は、織田信長の安土桃山城を天守閣を模して築かれたと伝えられており、
全国的にも珍しい不等辺五角形の天守台をしています。
大学時代に私は姫路に住んでいたので、岡山城の3倍くらいある姫路城を毎日見て過ごしていたため、久しぶりに見る岡山城はとても小さく見えました。
真っ白なお城の姫路城は、別名「白鷺城」と呼ばれるのに対して、
カラスのように真っ黒な岡山城は「烏城」と呼ばれております。
皆さんも旅行などで行く機会があれば、是非足を運んでみてください。
ゆったりとした時間を過ごすことが出来ます。