2015年06月25日
営業活動日記 「私が不動産鑑定士になった理由 その1」

皆様、こんにちは。不動産鑑定士の松本智治です。

人から時折尋ねられる質問に、
「なんで、不動産鑑定士になろうと思ったのですか?」というものがあります。

もともとは、不動産関係の仕事に進もうなどとは全く考えておりませんで、
学生時代、とりわけ大学(日大法学部)に通い始めの頃から、
4年間を使って猛勉強すれば受かるかもしれないと考えて選んだものが、
宮崎県にある航空大学校へのさらなる進学、すなわち、エアライン・パイロットへの路でした。

航空大学校の入試試験はやはりとても難関で、1次試験は英語、数学、一般教養科目の学科試験、
2次試験は身体検査で、目に関する検査項目だけでも10項目以上あるものでした。
そして3次試験は航空適性検査で、教官の横に座って実際に飛行機を操縦します。
例えば、上空5000フィート(1500m)とかまで教官が操縦した時点で、
教官より、「ここから1000フィート上昇したのち、水平飛行をしてください」とか、
「傾斜角15°で右旋回して、方位090の位置で直線飛行に戻して下さい」というような指示について、
初めは上手くできなくても、3日間行う適性検査で徐々に操縦技術に進歩がみられるかどうかを検査されるものです。

自分としましては、日々猛勉強したこともあり、1次の学科試験には1回目の受験で合格することができましたが、
2次の身体検査で不合格となってしまいました。
明確な不合格理由は開示されておりませんが、もともと血圧が140以上とやや高かったことや、
緊張してしまうと若干不整脈を打ってしまうことなどが災いしたのだと思っています。
都合三度、航空大学校を受験しましたが、全てこの2次試験でひっかかってしまいました。
身体的なことでしたので、やはり努力だけではどうすることもできないことでもありました。

この、努力してもできないことがあるという現実は、自分にとって人生の最初の大きな壁でした。
その後、自分がどのような道を歩むべきか、しばらくは空白の時間を過ごしておりましたが、
もともと、さまざまな街を歩いて廻ることが好きで、アルバイトをして貯めたお金で日本全国の主だった
市街都市を鈍行電車を乗り継ぎながら観て廻っておりました。
そこで、何となく思い付いた考えが、「都市計画のようなものに携わってみたい」というものでした。
そして関係するような書籍を読んでいましたところ、目に留まったものが、不動産鑑定士資格試験でした。

(次回その2に続きます。お楽しみに)

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