
皆様、こんにちは。西村友里です。
先日、京浜急行本線・南武線「八丁畷」駅から徒歩6分にある
分譲マンションのオープンルームを開催致しました。
私は、販売会のある日は電車を利用して現場へ向かいますが、
駅から現場に歩いて行く際に、衝撃的な看板を見つけました。
それは、「八丁畷の由来と人骨」という看板です。
「〇〇〇の由来」等と記載された看板はよく見かけますが、
その後に「人骨」と続いておりましたので、思わずその看板を二度見してしまいました。
『人骨』からはあまり良い想像ができません。
私の場合、人骨と聞くと戦争やお化けを連想します。
その為、看板の内容をよく読んでみました。
以下がその内容になります。
「江戸日本橋を出発点とする東海道は、川崎宿を過ぎてから
隣の市場村(現在の横浜市鶴見区尻手・元宮・市場のあたり)へいたります。
この区間は八丁(約870メートル)あり、畷(なわて)といって、道が田畑の中をまっすぐにのびていましたので、
この地を八丁畷と呼ぶようになりました。
八丁畷の付近では、江戸時代から多くの人骨が発見され、戦後になっても道路工事などで
たびたび掘り出され、その数は十数体にも及びました。
これらの人骨は、東京大学の人類学の専門家によって科学的に鑑定され、
江戸時代ごろの特徴を備えた人骨であることが判明しました。
江戸時代の記録によりますと、川崎宿では震災や大火・洪水・飢饉・疫病などの災害にたびたび襲われ、
多くの人々が落命しています。
おそらく、そうした災害で亡くなった身元不明の人々を、川崎舎のはずれの松や欅(けやき)の並木の下に
まとめて埋葬したのではないでしょうか。
不幸にして落命した人々の霊を供養するため、地元のでは昭和9年、川崎市と図ってここに慰霊塔を建てました。
平成元年 3月 川崎市教育委員会」
「八丁畷」という名前を始めて聞いたときは、「畷とは何だ?」と思いましたが、
これでようやく意味がわかりました。
また、人骨との関係を知ることにより、川崎市民の気遣いを知ることが出来て良かったです。