
皆様、こんにちは。管理部の牛迫宣機です。
明日3月11日は、「東日本大震災」から丸3年目を迎えます。
3年前の3月11日当時、仙台にある東北高校に在学していた羽生選手にも大変な試練が訪れました。
大震災の被災者となった羽生結弦選手は、スケートをやめようと思った事もあったとの事。
大変なショックの中、仙台市のスケートリンクが壊滅状態になり、滑れなくなった羽生選手が頼ったのが、
最初の恩師である都築さん(現在、東神奈川に在る「神奈川スケートセンター」の専属インストラクター)だそうです。
ご両親の依頼で羽生選手を預かった「都築さん」のもと、一週間の内5日はトレーニング、2日は仙台に帰るという
生活を8ヶ月続けられました。
そうした努力の結果、先に開かれた「ソチ五輪」では、日本男子で初めての「金メダル」を獲得したことは、
皆様先刻ご承知の通りです。
そんな羽生選手を足元から支えたのが「吉田年伸さん」と云う方です。
吉田さんは「スケート選手の生命線」といわれる、スケート靴のエッジを研ぐ研磨職人だそうです。
吉田さんは「エッシ゛の磨耗の度合いで今何の練習をしているのか、何を一生懸命跳んでいるのか大凡分かる」と
おっしゃっていました。
羽生選手は、滑って滑って磨耗したものを研磨するのではなく、そんなに磨耗していないものを
きっちりエッジを立てているとの事。その単位は数ミクロンであると話していました。
吉田さんは、羽生選手の靴の研磨を「羽生スペシャル」と命名しています。
羽生選手自身も「吉田さんは僕が小さい頃から見て頂いているし、僕の好み等も知っている。
自分に合わせたエッジを作ってくれるため、とても信頼しています。」と語っています。
本当に素晴らしい「縁の下の力持ち」です。
こういう方が羽生選手を影で支えているので、あの素晴らしい演技が見られるのですね。
今回、とっても感心させられた「縁の下の力持ち」の話題でした。