皆様、こんにちは。西村友里です。
先日のことですが、弊社日本大通店へ向かっている最中、
大勢の人だかりを見かけました。 日本大通りでは、よくドラマや雑誌の撮をしていますが、
この日はそんな雰囲気ではなく、黒いスーツを着た方々が大勢おりました。
場所は、日本大通店が入っているビルの前の歩道で、
運動会で見かける白いテントを張り、受付をしています。
一体何をやっているんだろうと遠くから目を凝らしてみると、看板が掲示してありました。
パッと見た瞬間、「除霊式 受付」と見えたので、「こんなところで除霊式をやっているんだ!
え、そういうの苦手だから前を通りたくないな。」と思いつつも、支店に用事があるため
前を通らなければなりません。
恐る恐る近づいてみると、除霊式ではなく「除幕式 受付」と書かれていました。
ホッとしつつ、自分の早とちりにため息が出ました。
高さ50cm、幅90cmくらいの大きさのオブジェに白い幕が掛かっており、
これから除幕式が行われる様子でした。
一体どんなものが中から出てくるのだろうと、とても気になりましたが、
仕事があるので、次回のお楽しみにして、通り過ぎました。
後日、正体がわかりました。添付写真の石碑です。そこには、次の記載されていました。
『近代のパン発祥の地』
「1859年、欧米諸国との貿易がはじまるや、幕府は日本大通り5番地の 横浜港郵便局を中心とするこの地区に、外国人の日用食品街「お貸し長屋」を建てた。
その一画で、内海浜吉は1860年、フランス人にパンの製法を習って「パン屋」をはじめた。
当初は「焼き饅頭」のようなものができた。
だが、これが現代日本人の日常生活につづくパン食文化の始めである。
パンの元祖「富田屋」として知られた。
その後、イギリス人クラークのパン屋「ヨコハマベーカリー」が、登場する。
ここで修業し、受けつぎ発展したのが打木彦太郎の元町「ウチキパン」で、イギリス流の山形食パンである。
現代日本の日常生活に根づくパン食文化「パン屋」がはじまったこの地区に、横浜市中区制90周年を記念し 「近代のパン発祥の地」を設置する。 2016年11月 設置者 横浜市綜合パン協同組合 全日本パン協同組合連合会」
横浜は1859年に開港して以来、西洋文化の流入拠点となり、ガス灯や近代競馬場、アイスクリ-ム等の
発祥の地であることは知っていましたが、実は他にもたくさんあることを知りました。
消防救急、日本吹奏楽、西洋瓦製造工場、近代街路樹、西洋医科歯学、君が代、日本野球初の試合、
写真開祖、西洋医科歯学勉学、鉄のトラス橋、ホテル、乗合馬車、日本洋裁業、大正活映撮影所、
外国人と日本人共有公園、近代下水、洋式公園、ガソリンスタンド、運上所、近代水道、日本テニス、
鉄筋コンクリートビル、日米和親条約締結、ヒマラヤ杉 初植栽、外国郵便局、礼砲、電信創業、クリ-ニング、
金星太陽面経過観測、憲法草案、電話交換、邦字新聞、日本人の経営による民間病院、海水浴場、
日本バブテスト、日刊新聞、日本メゾヂスト、開国後最初のカトリック教会、塗装業、プロテスタント教会、
誠愛剣法、機械製氷、全て横浜が発祥地であるとのことです。
詳しくは、「横浜発祥地巡りHP http://takatust.town-web.net/yoko-hatsu/page021.html」をご参照ください。また一つ、勉強になりました。