2016年10月27日
営業活動日記 「近代のパン発祥の地」

皆様、こんにちは。西村友里です。
先日のことですが、弊社日本大通店へ向かっている最中、
大勢の人だかりを見かけました。 日本大通りでは、よくドラマや雑誌の撮をしていますが、
この日はそんな雰囲気ではなく、黒いスーツを着た方々が大勢おりました。

場所は、日本大通店が入っているビルの前の歩道で、
運動会で見かける白いテントを張り、受付をしています。
一体何をやっているんだろうと遠くから目を凝らしてみると、看板が掲示してありました。
パッと見た瞬間、「除霊式 受付」と見えたので、「こんなところで除霊式をやっているんだ!
え、そういうの苦手だから前を通りたくないな。」と思いつつも、支店に用事があるため
前を通らなければなりません。
恐る恐る近づいてみると、除霊式ではなく「除幕式 受付」と書かれていました。
ホッとしつつ、自分の早とちりにため息が出ました。
高さ50cm、幅90cmくらいの大きさのオブジェに白い幕が掛かっており、
これから除幕式が行われる様子でした。
一体どんなものが中から出てくるのだろうと、とても気になりましたが、
仕事があるので、次回のお楽しみにして、通り過ぎました。

後日、正体がわかりました。添付写真の石碑です。そこには、次の記載されていました。

『近代のパン発祥の地』
 「1859年、欧米諸国との貿易がはじまるや、幕府は日本大通り5番地の  横浜港郵便局を中心とするこの地区に、外国人の日用食品街「お貸し長屋」を建てた。
  その一画で、内海浜吉は1860年、フランス人にパンの製法を習って「パン屋」をはじめた。
  当初は「焼き饅頭」のようなものができた。
  だが、これが現代日本人の日常生活につづくパン食文化の始めである。
  パンの元祖「富田屋」として知られた。
  その後、イギリス人クラークのパン屋「ヨコハマベーカリー」が、登場する。
  ここで修業し、受けつぎ発展したのが打木彦太郎の元町「ウチキパン」で、イギリス流の山形食パンである。
  現代日本の日常生活に根づくパン食文化「パン屋」がはじまったこの地区に、横浜市中区制90周年を記念し  「近代のパン発祥の地」を設置する。                 2016年11月 設置者 横浜市綜合パン協同組合 全日本パン協同組合連合会」

横浜は1859年に開港して以来、西洋文化の流入拠点となり、ガス灯や近代競馬場、アイスクリ-ム等の
発祥の地であることは知っていましたが、実は他にもたくさんあることを知りました。
消防救急、日本吹奏楽、西洋瓦製造工場、近代街路樹、西洋医科歯学、君が代、日本野球初の試合、
写真開祖、西洋医科歯学勉学、鉄のトラス橋、ホテル、乗合馬車、日本洋裁業、大正活映撮影所、
外国人と日本人共有公園、近代下水、洋式公園、ガソリンスタンド、運上所、近代水道、日本テニス、
鉄筋コンクリートビル、日米和親条約締結、ヒマラヤ杉 初植栽、外国郵便局、礼砲、電信創業、クリ-ニング、
金星太陽面経過観測、憲法草案、電話交換、邦字新聞、日本人の経営による民間病院、海水浴場、
日本バブテスト、日刊新聞、日本メゾヂスト、開国後最初のカトリック教会、塗装業、プロテスタント教会、
誠愛剣法、機械製氷、全て横浜が発祥地であるとのことです。

詳しくは、「横浜発祥地巡りHP http://takatust.town-web.net/yoko-hatsu/page021.html」をご参照ください。また一つ、勉強になりました。

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