
皆様、こんにちは。西村友里です。
店舗探しをきっかけに、「元町の歴史」について調べてみました。
◇元町の始まり
1859年の横浜開港当時、日本大通りを境に「日本人商業地区」と、
「外国人居留地区」へ事業計画が決定されました。
1860年1月に横浜の居住民90戸が隣接する本村に強制移転させられ、
その年2月に「本村」を「横浜元町」に地名変更したのが元町の始まりです。
元町の居住民の大部分は、当初農漁業に従事していましたが、
明治7年頃になると、山手居留地に外国人が相当住むようになり、
元町通りが山手の住居地と関内の業務地を結ぶ外国人の日常的な通り道になったのに伴い、
外国人を対象に商売を始める者が、自然発生的に増えてきました。
◇元町ショッピングストリートの誕生
大正初期には、西洋人を相手に商いをする花屋、洋服屋、婦人帽子屋、西洋家具屋、
パン屋、カフェ、キュリオシティショップなどが立ち並ぶお洒落な街が形成され、
現在の「元町ショッピングストリート」が生まれたそうです。
また、1967年から「元町SS会」(元町ショッピングストリートの組合)には、
2年かけて世界一周をし、パリ・ローマ・ロンドン・アムステルダム・ハンブルグ等7つの商店街と
姉妹提携をしました。
当時は、1ドル=360円の時代でしたので、「外国」は庶民の手に届かないところにあり、
人々の憧れだったそうです。
◇姉妹提携によって
ヨーロッパの商店街と姉妹提携したことにより、海外の商店街を視察し、情報交換を通じて
親睦を深めることができ、同時に個々の商店が外国製品を直輸入する流通経路を確立させました。
今でこそ外国製品の直輸入は珍しくないですが、街の小売店が直輸入を試みるのは、
30年以上も前は「画期的」なことだったそうです。
その為、テレビや新聞等に大々的に取り上げられ、「横浜・元町」の名は一気に全国を駆け巡ったそうです。
◇現在の元町
「昔に比べたら元町に来る人は減った」と聞きます。
しかし、元町を歩いていて感じることは富裕層らしき人々が多いことです。
本日も元町に行ってきましたが、女優帽をかぶった女性と、高そうな黒いスーツを着こなした男性が、
元町の商業施設から出て来られて、高級車に乗って走り去って行きました。
元町で働いている人たちも客層に合わせた努力を心がけており、時計や洋服等にさりげなくブランド品を
取り入れるなど身だしなみを整え、プライドを持って仕事に取り組んでいる方が多いようです。
このようなお店の対応と努力が、来店されたお客様に「高級なお店」、「質の高いお店」と感じていただき、
商売につながっているのだと伺いました。
またひとつ元町の奥の深さを、知ることができました。