2015年12月03日
営業活動日記 「日吉キャンパスの歴史」

皆様、こんにちは。西村友里です。

昨日は、東急東横線沿いでお部屋を探されているお客様を
ご案内致しました。「日吉」駅と「綱島」駅周辺のお部屋を全部で3件ご案内し、
気に入ったお部屋が見つかりましたが、お返事は家族会議をしてからの
結果待ちとなっております。


「日吉」駅は日本を代表する名門私立大学、「慶応義塾大学」の「日吉キャンパス」があることで有名です。
日吉キャンパス内には「慶應義塾高等学校」も併設されています。
慶応義塾大学の本部は三田(東京都港区)ですが、ここ以外に信濃町(東京都新宿区)、
芝共立(東京都港区)、矢上(神奈川県横浜市)、湘南藤沢(神奈川県藤沢市)にもキャンパスがあります。
また、日吉キャンパスには「旧海軍地下壕」があるそうです。

以下、「日吉台地下壕保存の会」ホームページ(http://hiyoshidai-chikagou.net/)から抜粋したものです。

◆日吉に来た海軍
初めて日吉に海軍が来たのは軍令部第三部で、1944年3月、慶應義塾大学日吉キャンパス第一校舎に入り、
敵国情報を収集分析していました。
同年7月にサイパン島が陥落すると、日吉台国民学校も学童疎開を余儀なくされ、
学校は子どもたちが出て行った後に、海軍省人事局功績調査部が入り兵舎にかわりました。
次いで、それまで慶應の学生が使っていた寄宿舎が連合艦隊司令部として使われ、
その地下に作戦室や司令長官室などを含む、連合艦隊司令部地下壕が作られ、
続いて海軍省人事局・航空本部の地下壕が構築されていきました。

1945年の1月になると艦政本部地下壕が掘られ、日吉の街は海軍の軍人や軍の施設を作る作業員がきて、
さながら軍都の様相を呈していきました。
日吉の街は三度にわたる空襲の被害を受けました。

◆連合艦隊司令部
戦況が悪化する中で連合艦隊司令部が、旗艦大淀から慶應義塾日吉キャンパスにある寄宿舎に入ったのは
1944年9月29日でした。
司令部地下壕はまだ建設中で、一部使用可能になったのは11月になってからでした。
10月の「台湾沖航空戦」「レイテ沖海戦」の作戦命令、45年4月6日の戦艦「大和」の出撃命令などは
この日吉の司令部から発せられました。


弊社でも賃貸募集をしているお部屋がある為、日吉には何度か訪れる機会がありましたが、
まさか慶応大の中に地下壕があるとは思いもしませんでした。
昨日前を通った際、立派なイチョウの木が真っ黄色に染まっており、青空とのコントラストがとても素敵でした。
多くの人が立ち止まり、写真を撮っておりました。

添付している写真の右側がその写真です。
左側の写真は日本大通りの夜の写真です。
雨が降った後なので、落ち葉が大量に落ちておりますが、イチョウ並木の両サイドに
今年もクリスマスの装飾が施され、とても幻想的です。

皆さまも機会がございましたら、是非一度、足を運んでみてください。

 

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