年齢を重ねるごとに感じることですが、子供の頃に教わった
親の「しつけ」や教育、そして社会に出てから携わった環境、人、職場。
これらは、各自が持つ「常識」に、多大な影響を及ぼしており、
現在に活かされているのだと思います。
私の両親はとても「しつけ」に厳しく、特に父親は子供の頃は怖い存在でした。
食事の時には、正座をしてご飯を食べること。テーブルに肘をつかないこと。
テレビをつけたまま食事をしないこと。これが我が家の規則でした。
おかげで、現在でも正座は得意です。
お客様宅へ訪問した時には、何時間正座をしていても平気です。
また、小学生の頃は、子供は20時に寝るのがこれまた習慣でした。
当時は、20時から見たいテレビが立て続けにあったのですが見れないため、
学校で友達とテレビの会話ができず、さみしい思いをしたこともありました。
社会に出て何年も経過しているのに、自分ができない理由を
他人や親のせいにする人がいます。
また、できない言い訳ばかりする人がいます。
このような人の多くは、キャパが狭く自分だけの常識の世界に
閉じこもって生きています。
だからいつまでたっても成長が出来ず、自分だけの常識が
世間一般から見たら「非常識」であることに気が付かないのです。
ないのですから、皆次第に愛想を尽かして遠ざかっていきます。
本人が何も感じていないのだから、仕方がありません。
また、このような人は、プライドが高く仕事ができると思い込んでいるから厄介です。
「そのプライドはどこからくるの?」と聞きたいほどです。
仕事ができるできないは、自分が決めるものではなく、相手が支持するかしないかであると
私は思います。
社会に出たら「自己責任」です。
いつまで親に甘えているんだ。いい加減にしろと。
私の植物好きは、母親の影響によるものです。
子供の頃から実家には、毎日花が活けられ、花のない日は
ありませんでした。
花に囲まれた生活環境の中で、よく父が母に向かって
「いったいいくつ花を飾れば気が済むんだ。」とあきれ返っていた
ことを覚えています。
母の趣味が、いつの間にか私にも受け継がれたのです。
贈り物を頂いたり、ご馳走になった際には、お礼を言うのは当り前のことです。
私の母は必ず何かしらのお返しをし、私にもそういう教育をしました。
「人様から頂き物をしたり、ご馳走になったら、お礼を言うのはもちろんのこと、
高価なものでなくてもいいから、そのときの歳相応のもので、感謝の気持ちを
形にしなさい。その人のために何かを選び、お返しをしなさい。」といつも言われて
育ちました。
若いとき、上司や先輩からご馳走になっても、同様の食事はお返しできません。
けれど雑貨やお菓子など、ささやかではありますが「気持ち」を返すことはできました。
だから私は子どもの頃から、お礼とお返しは必ず行うようにしています。
誰かのために、その人の喜ぶ顔を思い浮かべながら贈り物を探す時間が、
私にとっての楽しみであり、お世話になったことへの感謝の証なのです。
最近感じることですが、年齢や立場に関係なく、
「ご馳走様でした。」、 「ありがとうございます。」、
「申し訳ございません。」などの感謝や謝罪の言葉が
心から言えない人が多く見受けられます。
このような人を目の当たりに見るにつけ、虚しくなります。
なるのは、本人ではなく、第三者の目です。
どんなに口できれい事を言っても、常日頃の行動や言動が伴っていなければ、
人から認められることは難しいでしょう。
そのことをいくつになっても忘れず、努力したいものです。